人は承認されたいのだ!
あの日のことは忘れられない。
ぼくが、子どものときに読んだ本がある。
それは、「人間は考えるアシである」などで有名なフレーズ・パルカルだった。
その名著にこんな言葉がある。
『自己愛の本質とは…
自分しか愛さず、自分しか尊敬しないことだ。
しかし、次のような場合、人はどうしてよいのか分からなくなる。
それは、愛してやまない自分が、じつは欠点だらけだったときだ。』
で、ある。
しかし、人は自分をおおきく。見せたがるものです。
たとえば、
「ビジネスで成功して、3000億円の資産があるんです」
とか、
「芸能人にあったことあるんだ」
など、話のふしぶしに、自慢ばなしをする。
ぼくは、「へーえ、そんなんだあ。」「それは、よかったすね。」
と反応はうすい。
たいてのことは、ぼくにとって自慢なならない。
ましてや、芸能人や政治家、お金持ちの悩み相談は、けっこう受けてきた。
だからじゃないが、彼らも悩めるひとりの人間である。
「他の人となんらかわりはないよ」
憧れるのは勝手たが、芸能人にあったからって、すごいは根拠がない。
さらに、億万長者になったからって、自慢にもならない。
お金が多くもっているからって、偉いにはならない。
「お金多い=偉い」
ではなく。
「お金多い=お金が多い」
なだけである。
本当は、「えっえええ!ビジネスで成功されてるんですか、すっすすすごいですね。」
とか、「うわああああ、いいな~あ。芸能人に会いたいなあ」
なんて、自己重要感を満たしてあげればいいのだが、困るのは彼らだから言わない。
それより、わずかな財産しかない。お年寄りが恵まれない子どもに。
資産の全額を寄付をした。そのほうが、ずーと偉いといえる。
もしそれが、千円だとしても、自分のことより、他人を思いやる心は、偉いし尊いよ。
しかし、
自分中心にものごとを考えているとき、人間のなかにもっとも罪ぶかい。
エゴが芽生えてくるんだよね。
そう、「自分我」、「自分我」というものがでる。
「俺はこんなにすごいんだ。」「私を誉めてほしい」
なんて、自分我中心なんだ。
それも、
自分の我を満たして、承認してくれる人を欲しがっているのだよね。
これを、書いたぼくだって、そうした願望をもっているよね。
「このブログすごいよね。ずばり、本質をついてるよ」
なんて、承認してほしいんだ(笑)
そして、これを読む人だってね。自分の考えを、認めてほしいと思ってる。
つまり、人が地上でどれほどのものを、所有しようと。どれほど冨や名声を目にしても。
承認されていなければ、人生は満足できないのである。
これが、人間の一番の欠点である。
承認されたくて、行動し、承認されなければ、苦しむのである。